プロフィール

動画活用起業実現コーチ
Dr.ケンこと 渡辺 賢

動画活用起業実現コーチ
Dr.ケンこと 渡辺 賢

新卒で就職した公的機関に約30年勤め早期退職。
早期退職した理由は、管理的な立場になっていく中で、企業特有の上下関係、業務内容、そして、社内政治などに疑問を持つようになったこと。

このまま定年まで勤め上げるのか?と考えた結果、起業しよう!と決断。

公的機関職員や会社員として長年勤めてくると、定年が見えてきた時、ふとこのままでいいのだろうか?と考えてしまう人は私と同じようにとても多いと思っています。

そして、過去の私と同じように、起業したいけど勇気がない、スキルがない、どうしたらいいかわからない。というお悩みを抱えている人もたくさんいらっしゃいます。

そんなあなたに、私の今までの経験や起業して新たに身につけたスキルを使って、起業する方法を伝えたい。

「このように起業できるんだよ。」ということを自分の背中であなたにお見せしたいのです。

だからこそ、私の得意なこと=デジタル機器操作、実用的な動画制作で、あなたの苦手を克服し、起業を実現するお手伝いをする「起業実現コーチ」として活動しているのです。

1971年生まれ。大自然に囲まれて生活しています。

趣味:ロードバイクに乗ること。

特技:Windowsパソコンをパーツから組み上げるほど、パソコンが好き。
社会人になってから29年間に18回の転居、そのうち4回は、持ち家の売却を伴う転居をしているので、引越しの段取り、住居の選択、持ち家の売買についての知見を保有、一定のアドバイスが可能。

好きなもの:オーガニックな食べ物、静かな環境、美しい音楽、感動や気づきのある映画、温熱環境の優れた住宅、ありのままで美しいもの

起業するまでの私のストーリー

◆公的機関職員時代:部外プレゼンコンペでの優勝

そのプレゼンコンペは、下位から発表される。

次々に、受賞者が発表されるなか、自分がなかなか呼ばれない。

そして、淡い期待とともに、時間が過ぎていき、とうとう最後になった。

「今年の最優秀賞は、渡辺賢さんです!」


この言葉を聞いた時、まさか自分が?という驚きでしばらく固まってしまった。

しかし、賞状と副賞をいただくために壇上に向かわなければならず、すぐに我に返った。

壇上までの、そのたった数mが、ものすごく遠く感じた。

◆幼少時代〜高校、大学時代のこと

私は、幼少期、病弱で、肺炎をこじらせて死にかけたこともあり、小学校時代は、みんなが給食を食べる中、たった一人、持参した玄米菜食弁当を食べていた。

そして、身体が多少強くなってきた中学校では、給食を食べるようになったのだが、小学校時代のそのことをネタにイジメられることが多かった。

そんなこともあってか、自分の存在を消し、出来るだけ目立たないように生きていた。

なので、人前で話したり、何かを表現したりすることが大の苦手であった。

教科書を音読させられるだけでも、あがって顔が赤くなるほどであった。

そんな私も、高校、大学と進み、少しづつではあるが、他の生徒の前で、話をせざるを得ない機会が増えていった。

でも、やはり、苦手なものは苦手なままで、人に何かを伝えるのは不得手であった。

◆社会人になって

そして、社会人になった私は、いわゆる報・連・相が、大の苦手で、度々、上司などから、叱られた。

心の中では、「何を分かりきったことを、わざわざパフォーマンスや上司の自己満足のために報・連・相する必要があるのか??」という、捻くれた考えも持っていたからだった。

そんな私も、だんだんといわゆる‘社会人’になり、ある時、社内で技術的な発表を行う半ば強制的な命令を受けた。

人前で、話すことが相変わらず苦手だった私は、当初、逃げることを画策した。

しかしながら、業務命令なので、嫌々ながらも従わざるを得なかった。

そして、当時は、PowerPointが出始めだったのだが、私の所属していた支社内では、その「ハイテク」ソフトに対応していなかったため、OHPでプレゼンを行った。

そして、ある技術的な話を、なるべく分かりすやすく、事務系の人にも理解できるくらいに、使う言葉をよく吟味し、写真、図、絵を多用し、ビジュアリスティックになるように心がけた。

その結果、支社内で評価され、本社講演に進む演題に選出された。

◆本社講演に選出!

本社講演では、全国の支社から集まった講演者が、皆PowerPointで講演をするということだったので、プレゼンの資料をOHPから作り替える必要があった。

そして、私はPowerPointを使うのが初めてだったので、社内のパソコン通の同期からスキルを学び、OHP原板をPowerPointに作り替えていった。

その際、手書きのOHP原板をスキャンしてパソコンに取り込むのだが、スキャナの性能も高くなく苦労した。

そして、取り込んだ画像を加工して、PowerPointに貼り付けていき、アニメーション動作も追加して、技術的な話を分かりやすく「見せる」工夫をした。

それに加え、本社講演では、支社の何倍もの聴講者が来るということだったので、あがって言うことを忘れてしまうのが怖かったので、何十回も講演の自主練を行った。

そのおかげで、原稿はほぼ見ずに喋れるようになった。

そして、本社講演では、なんと最優秀賞を獲ってしまった。

◆部外のプレゼンコンペにエントリー

結果、今度は、部外のプレゼンコンペへのエントリーを命じられることとなった。

そのコンペは、数万人規模の大企業から、選りすぐりの強者講演者が集まる、いわば技術講演界の甲子園のようなものだった。

なので、気が小さく、引っ込み思案で、人前で話すことが苦手な私が、進んで参加するようなイベントではなかったし、エントリーを命じられた際は、逃げたい気持ちだった。

本社講演からそのコンペまでは1ヶ月弱しかないので、本社講演時に、指摘を受けた箇所、自分でもモヤモヤしていた箇所を、スッキリ納得するまで、大急ぎで修正に修正を重ねる日々を過ごした。

しかも、この作業、会社からは業務ではない扱いとされたため、終業後に、一人夜遅くまで残って行うこととなった。

そして、家に帰ってからも、恐怖心を払拭するためのリハーサルを夜な夜な繰り返し、内容をほぼ空で暗誦できるほど練習した。

◆本番。まさかのアクシデント発生!

そして、迎えた本番前日、東京のホテルにチェックインした後、持参したパソコンと講演会場のプロジェクターの相性確認のために会場に行った。

そこで、まさかの事件が発生した。

持参したパソコンをプロジェクターが認識しないのである!

そこで、急遽、そのプロジェクターが認識できるとわかっているパソコンを参加する他の大企業から借りてくることになった。

持参したパソコンは私が所属する支社のパソコンだったので、それを管理している支社のサポートデスクに電話で教えてもらいながら、ようやくパソコン内のデータを他社のパソコンに転送して、前日の災難をなんとかクリアした。

そのため、その夜は、気持ちが昂ぶり、不安もあって、なかなか寝つけなかった。

翌日、操作に慣れていない、他社のパソコンを操作して、本番の講演に臨んだ。

そんな状況なので、心が動揺しないはずがない、はずだった。

ところが、なぜか、自分でも驚くほど落ち着いて、講演を行うことが出来たのである。

恐らく、そう出来たのは、自分なりに、かなり努力したという自信のようなものがあったからだと思う。

結局、このような経験を通して、私は、最優秀賞を得たということより、過去の不甲斐ない自分と決別できたという、もっと大きなものを得たというような気がしている。

そして、何より、嫌々ながらもやると決め、その決心を行動に変えることの大切さを学んだと思っている。

◆起業した今、あなたに伝えたいこと。

今では、そんな私がYouTubeを活用した起業を教えています。

YouTubeは、発信してみて初めて見える世界があります。

端的に言えば、上記の「過去の自分との決別」に近いと思っています!

その体験をした時、男女を問わず、自然と涙が出ます!

YouTubeというプラットフォームを利用しているだけで、やっていることの本質は、

「まだ、ご自身でも気づいていない、本当にやりたかったことへの気づき、そして、理想のご自身の姿を叶えること」

に他ならないのではないでしょうか?

起業したいけど、迷っているあなたへのメッセージ

私は、起業して初めて感じたこの感動を、ぜひあなたにも味わっていただきたいと思っています。

たった一度の人生です!

本当の自分に気づきたくないですか?

誰にも遠慮する必要はありません!

あなたの人生はあなたのものなのですから!

Dr.ケン こと 渡辺 賢


起業するまでの私のストーリー

◆公的機関職員時代:部外プレゼンコンペでの優勝

そのプレゼンコンペは、下位から発表される。

次々に、受賞者が発表されるなか、自分がなかなか呼ばれない。

そして、淡い期待とともに、時間が過ぎていき、とうとう最後になった。

「今年の最優秀賞は、渡辺賢さんです!」


この言葉を聞いた時、まさか自分が?という驚きでしばらく固まってしまった。

しかし、賞状と副賞をいただくために壇上に向かわなければならず、すぐに我に返った。

壇上までの、そのたった数mが、ものすごく遠く感じた。

◆幼少時代〜高校、大学時代のこと

私は、幼少期、病弱で、肺炎をこじらせて死にかけたこともあり、小学校時代は、みんなが給食を食べる中、たった一人、持参した玄米菜食弁当を食べていた。

そして、身体が多少強くなってきた中学校では、給食を食べるようになったのだが、小学校時代のそのことをネタにイジメられることが多かった。

そんなこともあってか、自分の存在を消し、出来るだけ目立たないように生きていた。

なので、人前で話したり、何かを表現したりすることが大の苦手であった。

教科書を音読させられるだけでも、あがって顔が赤くなるほどであった。

そんな私も、高校、大学と進み、少しづつではあるが、他の生徒の前で、話をせざるを得ない機会が増えていった。

でも、やはり、苦手なものは苦手なままで、人に何かを伝えるのは不得手であった。

◆社会人になって

そして、社会人になった私は、いわゆる報・連・相が、大の苦手で、度々、上司などから、叱られた。

心の中では、「何を分かりきったことを、わざわざパフォーマンスや上司の自己満足のために報・連・相する必要があるのか??」という、捻くれた考えも持っていたからだった。

そんな私も、だんだんといわゆる‘社会人’になり、ある時、社内で技術的な発表を行う半ば強制的な命令を受けた。

人前で、話すことが相変わらず苦手だった私は、当初、逃げることを画策した。

しかしながら、業務命令なので、嫌々ながらも従わざるを得なかった。

そして、当時は、PowerPointが出始めだったのだが、私の所属していた支社内では、その「ハイテク」ソフトに対応していなかったため、OHPでプレゼンを行った。

そして、ある技術的な話を、なるべく分かりすやすく、事務系の人にも理解できるくらいに、使う言葉をよく吟味し、写真、図、絵を多用し、ビジュアリスティックになるように心がけた。

その結果、支社内で評価され、本社講演に進む演題に選出された。

◆本社講演に選出!

本社講演では、全国の支社から集まった講演者が、皆PowerPointで講演をするということだったので、プレゼンの資料をOHPから作り替える必要があった。

そして、私はPowerPointを使うのが初めてだったので、社内のパソコン通の同期からスキルを学び、OHP原板をPowerPointに作り替えていった。

その際、手書きのOHP原板をスキャンしてパソコンに取り込むのだが、スキャナの性能も高くなく苦労した。

そして、取り込んだ画像を加工して、PowerPointに貼り付けていき、アニメーション動作も追加して、技術的な話を分かりやすく「見せる」工夫をした。

それに加え、本社講演では、支社の何倍もの聴講者が来るということだったので、あがって言うことを忘れてしまうのが怖かったので、何十回も講演の自主練を行った。

そのおかげで、原稿はほぼ見ずに喋れるようになった。

そして、本社講演では、なんと最優秀賞を獲ってしまった。

◆部外のプレゼンコンペにエントリー

結果、今度は、部外のプレゼンコンペへのエントリーを命じられることとなった。

そのコンペは、数万人規模の大企業から、選りすぐりの強者講演者が集まる、いわば技術講演界の甲子園のようなものだった。

なので、気が小さく、引っ込み思案で、人前で話すことが苦手な私が、進んで参加するようなイベントではなかったし、エントリーを命じられた際は、逃げたい気持ちだった。

本社講演からそのコンペまでは1ヶ月弱しかないので、本社講演時に、指摘を受けた箇所、自分でもモヤモヤしていた箇所を、スッキリ納得するまで、大急ぎで修正に修正を重ねる日々を過ごした。

しかも、この作業、会社からは業務ではない扱いとされたため、終業後に、一人夜遅くまで残って行うこととなった。

そして、家に帰ってからも、恐怖心を払拭するためのリハーサルを夜な夜な繰り返し、内容をほぼ空で暗誦できるほど練習した。

◆本番。まさかのアクシデント発生!

そして、迎えた本番前日、東京のホテルにチェックインした後、持参したパソコンと講演会場のプロジェクターの相性確認のために会場に行った。

そこで、まさかの事件が発生した。

持参したパソコンをプロジェクターが認識しないのである!

そこで、急遽、そのプロジェクターが認識できるとわかっているパソコンを参加する他の大企業から借りてくることになった。

持参したパソコンは私が所属する支社のパソコンだったので、それを管理している支社のサポートデスクに電話で教えてもらいながら、ようやくパソコン内のデータを他社のパソコンに転送して、前日の災難をなんとかクリアした。

そのため、その夜は、気持ちが昂ぶり、不安もあって、なかなか寝つけなかった。

翌日、操作に慣れていない、他社のパソコンを操作して、本番の講演に臨んだ。

そんな状況なので、心が動揺しないはずがない、はずだった。

ところが、なぜか、自分でも驚くほど落ち着いて、講演を行うことが出来たのである。

恐らく、そう出来たのは、自分なりに、かなり努力したという自信のようなものがあったからだと思う。

結局、このような経験を通して、私は、最優秀賞を得たということより、過去の不甲斐ない自分と決別できたという、もっと大きなものを得たというような気がしている。

そして、何より、嫌々ながらもやると決め、その決心を行動に変えることの大切さを学んだと思っている。

◆起業した今、あなたに伝えたいこと。

今では、そんな私がYouTubeを活用した起業を教えています。

YouTubeは、発信してみて初めて見える世界があります。

端的に言えば、上記の「過去の自分との決別」に近いと思っています!

その体験をした時、男女を問わず、自然と涙が出ます!

YouTubeというプラットフォームを利用しているだけで、やっていることの本質は、

「まだ、ご自身でも気づいていない、本当にやりたかったことへの気づき、そして、理想のご自身の姿を叶えること」

に他ならないのではないでしょうか?


起業したいけど、迷っているあなたへのメッセージ

私は、起業して初めて感じたこの感動を、ぜひあなたにも味わっていただきたいと思っています。

たった一度の人生です!

本当の自分に気づきたくないですか?

誰にも遠慮する必要はありません!

あなたの人生はあなたのものなのですから!

Dr.ケン こと 渡辺 賢